その昔、牧野富太郎氏が茨城県内原町にある農業の学校にやってこられたという話を、当時在籍しておられた先生に伺っていたので、こんな地方にまでこられていたのだとびっくりしていました。私は、子供のころから植物に関心がありましたので、牧野氏を身近に感じていましたから、久しぶりの上野は心はずみました。 展示されていた「牧野式植物図」はみごとで素晴らしいです。微細、緻密、具体的、一枚のカラ−写真を見るよりはるかに正確、適確に早く見分けられます。しかもその図をほとんど自分で描いていました。 (牧野式植物図) (科学博物館見学風景) 氏は幼くして両親と死別したためか、友達は植物でした。標本は野生植物だけでなく、園芸植物、市場で購入した野菜、切り花まで標本にされていました。 氏は、「しんどいことを避けてはダメです、友人は年齢の上下はありません、分からないことを聞く場合、年下の者に聞いては恥だと思うようなことでは疑問を解くことは死ぬまで不可能です、学問は無限の技芸です」など、広い、平等な、豊かな、強い人間性の持ち主だったのだと思います。だからこそ日本のあちこちに出向き、沢山の人と交わり、したわれ、植物の世界を広める活動を深め、今日に続いてきているのだと思います。(中原) |
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