その昔、牧野富太郎氏が茨城県内原町にある農業の学校にやってこられたという話を、当時在籍しておられた先生に伺っていたので、こんな地方にまでこられていたのだとびっくりしていました。私は、子供のころから植物に関心がありましたので、牧野氏を身近に感じていましたから、久しぶりの上野は心はずみました。 展示されていた「牧野式植物図」はみごとで素晴らしいです。微細、緻密、具体的、一枚のカラ−写真を見るよりはるかに正確、適確に早く見分けられます。しかもその図をほとんど自分で描いていました。 (牧野式植物図) (科学博物館見学風景) 氏は幼くして両親と死別したためか、友達は植物でした。標本は野生植物だけでなく、園芸植物、市場で購入した野菜、切り花まで標本にされていました。 氏は、「しんどいことを避けてはダメです、友人は年齢の上下はありません、分からないことを聞く場合、年下の者に聞いては恥だと思うようなことでは疑問を解くことは死ぬまで不可能です、学問は無限の技芸です」など、広い、平等な、豊かな、強い人間性の持ち主だったのだと思います。だからこそ日本のあちこちに出向き、沢山の人と交わり、したわれ、植物の世界を広める活動を深め、今日に続いてきているのだと思います。(中原) |
2013年03月20日
上野 科学博物館での『植物学者 牧野富太郎の足跡と今』展を見て
タグ:植物標本
posted by 事務局 at 21:48| なんでも日記
2013年03月17日
FW: 「牧野記念庭園」見学記 by 標本グループ
2013年3月10日(日)練馬区立牧野記念庭園に行ってきました。正面で迎えてくれたのは、思いもかけない桜の花でした。「オオカンザクラ」ふっくらした淡い桜色のうれしいお出迎えにニッコリした私達です。 梅、椿が咲き、トサミズキも満開、草花はハナニラ・フッキソウ・カンアオイそして一番見事に咲いていたのはユキワリイチゲでした。軽井沢で春先に見られるセントウソウが所々で咲き始めていた、季節が1ヶ月半から2ヶ月も違うにだなあと思いながら歩いたことでした。 牧野博士の使われていた書室は、昭和初期の建物で、ここに書物や標本に囲まれていらしたのかと懐かしさ(?)を感じました。博士の描かれた植物標本図の素晴らしさに感動しました。残された標本の整理が没後55年を過ぎた今もまだ続いているそうです。 (牧野博士の胸像前で) (牧野博士製作のサクラソウ標本) 庭園内を歩きながら、サイカチの実、不思議な小さいマツボックリ(大木の赤松なのになぜか軽井沢のカラマツのマツボックリと同じ大きさ)を拾って帰途につきました。大泉学園駅への道端には、ホトケノザとノボロギクが咲いていました。 私達の軽井沢の植物標本つくりもきちんと保管すれば、後々貴重な資料・証拠となるのだと、改めて思ったことでした。 この日は気温28度にもなり、汗をかき、強風煙霧とやらで急に暗く温度が下がり、軽井沢に戻ると氷点下。桜の春に、真夏の暑さ、そして冬の寒さ、と何ともめまぐるしい1日でした。(西) |
posted by 事務局 at 11:09| なんでも日記